教育を受けられる機会が国民すべてに均等に与えられているかと言えば、必ずしもそう言い切れない面があることは誰でも知っていることでしょう。確かに、公的教育機関となる学校は、少なくとも小・中学校は義務教育という名のもとに国民の誰でもが受ける権利を保障されたものですが。一方でそれを補填すると言われる私的教育機関である塾は、費用を保護者が払う必要があるため、自ずとそれを払えない程困窮している家庭では受けることができません。もちろん、塾自体が国民すべてに必要性ある教育機関かと言えば反論の有るところでしょう。塾にもいろいろあって、進学のための受験に特化したところも有れば、地元密着型ともいえる補習授業をするところもあるでしょう。江戸時代の寺子屋などはこの部類に入るのかもしれません。受験を目的にした塾でも、必要性を感じない生徒もいるでしょうし、行きたくとも経済的事情が許さず行かれない子供もいるかもしれません。これは学校の授業についていけない子供を対象とした塾でも同じようなことがいえます。本人は何とかしたいと思っても同様経済的事情でそれを許されなければやむを得ずあきらめてしまう子供もいるでしょう。塾へ行きたくとも経済的事情でいけないという子供がいる以上、教育を受ける機会が国民全員に等しく与えられているとは言えないのです。

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